**********

第56回 5月例会 

■日時: 2010年5月23日(日) 13:30~

■場所:京都市中京区西ノ京内畑町31

 GLマンションⅢ-303 (林)

 二条自動車教習所の西隣、

「二条」駅(JRでも、地下鉄でも)

 より北へ徒歩5~8分
■会費:無料

■会の内容
(1)学習会……鷲田清一著『死なないでいる理由』(角川ソフィア文庫)

 〈プロローグ〉より「「死なれる」という経験」、 「死の語らい」を読んで語り合います。
 解説:西川勝(大阪大学コミュニケーションデザイン・センター特任教授) 

(2)懇親会……食べながら、飲みながら(持ち込み歓迎)

 

 

第56回例会の内容報告   野中理子

5月23日の例会の内容報告です。
今回は、新しいメンバーが2名来られて13名のメンバーによる読書会となりました。
「死なないでいる理由」プロローグの「死なれる」というところを中心にみんなでその意味について深めました。
これまでは、本を読んで自分がなるほどと思った箇所に線を引いたところを出し合うというやり方でしたが、今回は、読んでいて疑問に思う箇所を出し合いましょうということになりました。
鷲田先生の文章はわかりやすく書かれているようで実は、意味が深くわからない文が結構あったりして、丁寧に文章を読んでいこうということになりました。
 
鷲田先生の本に関しては、誰にも負けない読み込み、理解をしていると思われる西川勝氏が、いろいろとヒントを投げかけてくれ、余計にプロローグの文章の意味深さを感じさせられた学習会でした。
 
哲学的考察とは、こんな感じなのかなぁと、勝手に感じていました。
 
で、何を話していましたかといいますと・・・・
文章の一つ一つの意味を考えていったのですが
例えば:P15 死とともに「死者」が誕生すると言った方がいいのかもしれない。・・・云々・・生者/屍体という単純な二分法では分類できない両義的な存在である。死者とはそれらの象徴的な中間項であり、しかも人称性を持った存在なのである」・・・
 
P17 ・・・・わたしの死がいかなる他者にとってもひとつの事件になりえないのだとしたら、わたしは生きているときからすでに死んでいると言っていいくらいだ。
・・・・云々・・・<わたし>という存在は、だれかある他者の意識の宛先としてかたちづくられてきたものだからである。
 
この中で具体的な身近な死なれる体験談が少し話されたりしました。それぞれの身近な人の死の受け止め方も様々でした。悲しんだ人、ほっとした人、喪失感・・など
 
その中で死なれた人の亡霊がまだ存在として残っている場合は・・?
思いの宛先として死なれた人は、他者が自分の中でいつまでも生き続けている?
 
死を人称としてとらえることをしてみては・・?
一人称、二人称、三人称・・・・それぞれの死のとらえ方は?
他者とは、どういう事をさすのか?(哲学的になってきていました)
 
生まれてきたのは「わたし」が生まれたのではない。生んでもらったのだ。
私が死ぬのではなく、死なれるという相手があって死がある。
 
パーソン論:私が私であるという意識があるのかないのかで殺生は可能となると判断できるという論理 哲学は考えて追いつめていくうちに非常識にいくつくことがある危険がある。殺すことはなぜ悪いのか→死なないでいる理由の裏返しなのかも
死ぬ事←→生きるということの意味を考えることなのかも
 
他者と自己の関係:人称的な関係があって「死」「生」が存在する
 
プロローグ 死の語らい
ここでは、余計に深みにはまっていったという感じで、奈落の底に落ちていくように
文書の理解の難解さに頭はフル回転していました。
P23 L5・・・「わたしの死」の単独性や特異性は概念として成り立っているにすぎないことになる。それは、純然たる一人称を超えるものを含んでしまっている。この意味で「わたしの死」について語る言説は、「死なれる」という二人称の死から派生したある非人称的な語りなのである。・・・云々・・・・
 
P24ラストの文章 「死は生に意味を与える無意味なのです」と。
 
わたしは、全くお手上げという感じでしたがなかにはしっかり深めて理解された方もおられるかと思います。
読書会のなかで、難解な文章をああでもない、こうでもないと言い合うなかで、自分の考えを深めていく感じでした。
 
西川氏が鷲田先生のこの本は丁寧に読んでもらいたいといわれていたので、次回は、少しずつ進むということで Ⅰー1に進んでいく予定。短い文章ですが、またじっくり読み込んでいきましょう。
 
次回は6/20(日)13:30~林邸 Ⅰー1 「わたしという浮き草」
その次は7/25(日)13:30~林邸
8/29(日)13:00~17:00 大阪大学中之島センターにて
 「高齢社会におけるホスピスを考える」
 シンポジスト:佐藤信彦、兼行栄子、松本京子氏
司会 浜渦辰二氏(大阪大学大学院文学研究科臨床哲学教授)
 
以上 今回の例会の報告でした。
なかなか内容が伝わりにくくすみません。後半の食事会もご馳走がテーブルにのらないくらい集まり、わきあいあいととっても盛り上がっていましたよ。
 
野中が報告いたしました。失礼致しました。