〈ケア〉を考える会(第104回)

20151012 第104回〈ケア〉を考える会/チラシ.pdf
PDFファイル 579.0 KB


■日時:2015年 10月12日 13:30~17:30

■会場:京都市山科区安朱中溝町3−2
 山科駅より東 徒歩3~4分の民家 (山添)
(安朱保育園 東隣)

■内容
(1)学びの会(読書会)
 鷲田清一『老いの空白』(岩波現代文庫、2015年刊)
 「 3 〈老い〉の時間――見えない〈成熟〉のかたち 」
    
(2)懇親会‥‥食べながら飲みながら語り合います(持ち込み歓迎)
  
※山添さんご夫妻の手料理は絶品です。美味しいこと請け合い
※懇親会参加者で実費(1000円程度)ご負担願います
★参加申し込み、問い合わせ、メーリングリスト登録希望 
  ⇒ 「問い合わせ」ページより
★どなたでも参加できます。初参加歓迎。飛び入り参加、突然参加もありです。
★読書会は、本を読んでいなくても遠慮なく参加できます。読んできてほしいけど‥‥。



『老いの空白』ノート(2)


▼その生産性にみる見方のなかでは、〈老い〉はその衰弱としてみられ、そしてできれば遠ざけたいもの、回避したいものとして受けとめられる。「老残」「老醜」「老廃」と言った言葉にもみられるように、〈老い〉とは、死と近接した、あるいは退行性のなかに埋もれた、おぞましいものとされる。生産性を軸とする社会のなかに老人と子どもを滑らかに(都合よく)組み入れるために、「老残」「老醜」「老廃」を脱臭した「愛すべき」老人と「愛らしい」子どものイメージのうちに〈老い〉と〈幼さ〉が封じ込められて行く。愛されるにふさわしい老人も、可愛がられるにふさわしい子どもも、ともに受け身の存在であることを暗に求められる。老人が受動的な存在であること、〈老い〉が他律的なものであることが強いられてきたのである。〈老い〉と〈幼さ〉というものを、社会の現役以前、以後というふうにネガティブにとらえるのは、産業社会の特殊な思想なのである。(75-76頁)

 

 

▼〈いのち〉を何ものかを生みだす、あるいは志向する、その「力」の方から見るというのは、〈いのち〉のエッセンスを、時間を劈く推力にみる見方である。こういう、〈老い〉を〈いのち〉の閉じた論理の中でとらえる考え方では、いいかえると誕生-成長-成熟-老衰-死というリニアな時間系列のなかでとらえる見方では、〈老い〉は滅びの宿命となる。

これに対して、〈老い〉を〈いのち〉のなかに閉じ込めずに、〈いのち〉と二重になっているものとしてとらえること、そういう意味で〈いのち〉の狭い論理を広げることが必要なのではないか。(79頁)



▼老いはなだらかな減衰ではない。老いは、時間の連続性の隙間で、それがふと途切れるような仕方で、〈老い〉の意識として現れてくる。こういう時間の弛緩の中では、現在が未来を含むのではなく、不在の未来が現在を、不意を襲うかたちで訪れるのであった。そのかぎりで〈老い〉は人生のいつの時期にも訪れうるものであった。意のままにしうるというdisponibilitéの増進がいのちの成熟なのではなくて、意のままにならないというindisponibilitéの受容、そういう抵抗の経験をおのれの内に深く湛えることがいのちの成熟であると言うべきであろう。その意味では、〈老い〉とは、他なるものの受容の折り重なりとして現象するといえる。

(80頁)

 

 

 

会に参加された大塚 家成さんが Facebook に載せた文章の一部をここに紹介します。

――
そもそも老いて成熟することが善くて、成熟できないことが悪いのか?
私が勤めさせていただいている老人ホームのお年寄りの方々を見て、いつも現状に不満を抱き嘆いておられる方のほうが圧倒的に多い。こういう厳しい現実を踏まえると、別に成熟しなくっても良いんではないか。仕方がないと、諦める(明らかにする)しかないのではないか。

 

そう言えば、祈りとして叶わざるなしの御本尊様や勝利の人生などと、いつも声高に言っている宗教があったっけ・・・。『意のままにならないというindisponibilitéの受容、そういう抵抗の経験をおのれの内に深く湛えることがいのちの成熟であると言うべきであろう。その意味では、<老い>とは、他なるものの受容の折り重なりとして現象するといえる。』といわれる鷲田さんの言葉と正反対だなあ、と思った。

 

また、ケア論の語りとしても、有効なのでは。

つまり、ケアさせていただく側が抱えるジレンマ、焦り、思うようにケアができないもどかしさなどの思いも、『意のままにならないというindisponibilitéの受容、そういう抵抗の経験をおのれの内に深く湛えること』にしていくということ。もちろん、これでケアの悩みすべてが解決する訳ではありませんが・・・。
――


 

山添 裕子さんは、Facebook で次のように書かれています。

――

〈ケア〉を考える会‐京都。
 鷲田清一先生の読書会の後は 飲んで食べて今日も演奏会!
 林さんの尺八、岸田さんのコントラバス、
 めっちゃ豪華な演奏で歌わせていただきました♪
 少し心が疲れ気味だったけれど〈ケア〉を考える会の皆様にお会いできて語り合い音楽で癒やされました(*´∀`*)
 林さんの若かリし頃の話を聞き、
 恩地さんと偶然の接点があり、
 滞っていた感情が流れだし不思議な気持ちです。
〈ケア〉を考える会は最高です( ´艸`)

林さん、お身体に気をつけてケアを考える会京都継続してくださいね!

――