ケアを考える会に参加して

 

井藤 晴美  

 

 私は、この会には最初から参加させてもらっている一人です。50回を迎えた記念誌を作るにあたり、今まで会で取り上げてきた本や話し合ったことなどを振り返ってみました。

その中で私が一番印象に残っているのは、鷲田清一氏の「老いの空白」に書かれている、次のことばです。

 

「老い」や「介護」は、私たちの時代が抱え込んだ深刻な問題として論じられるが、それは取り組むべき「課題」であっても「問題」ではない。「課題」は、それとどう向き合い、どう引き受けるか、「課題」への取り組みじたいに大きな意味がある。

 

本当に「老い」や「介護」はことさらマイナスなこととして論じられています。そのことが,核家族化が進み,日常の中で「老い」や「介護」ということに触れる事が少なくなった世代にとって,不安やマイナスイメージを増長させているようにも思います。

物事は捉え方や見る視点によって、大きく異なる。この会の参加によってたくさんの気づきやケアの現場の問題や課題の背景を知ることができました。

ケアの現場に働く者として、より良いケアを目指し勉強会を始めたことで、「老い」や「介護」ということについて深く考える機会を得ることができました。また、ケアの現場で働いているからこそ、高齢少子化の進んだ日本における高齢者や介護現状を知っているからこそ、深く理解できる部分も多いと思われます。「老い」や「介護」は必ず直面することであるが、多くの人にとって不安はあるが、避けたいこと考えたくないこととなっているのではないでしょうか。

私が、携わっているヘルパー養成研修の受講者の中には、自分の老後や家族の介護に備えて受講する人もいますが、ほとんどの人は経験も知識もなく自分の老いや家族の介護に直面する人のほうがほとんどではないでしょうか。

ケアについて考えるとき、関係者間のみで完結するのでなく、ケア現場の現状や私たちの思いをもっと社会的に発信し、「老い」や「介護」を課題として取り組んでいける輪を広げて行くようなことも今後取り組んでいけたらよいなと思います。

最後に、会の開催にあたり、連絡や会場の提供をしてくれた林さんに、この場を借りてお礼を言いたいと思います。林さん本当にありがとうございます。

(京都福祉サービス協会、保健師)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケアの「関係性」について 

 

各務 勝博

 

私は、「対人援助」といわれる、人に関わる仕事をしていて、「ケアされる立場」「ケアする立場」、それぞれの「人」について、そしてその周りにいる「人(これらの人も、その時々で「ケアされる立場」「ケアする立場」になり得ますが)」についての関係性にずっと関心を持ってきました。

人と人との関係性は一瞬一瞬、常に動いていて、たとえ社会的立場に規定されていて、その立場関係は不変のように思えても、関係性は変化しています。そんな関係性の瞬間瞬間の変化が重なってドラマが生まれます。私はこの仕事をしていて、様々な方々のドラマの一端に関わらせていただいていて、本当に幸せだと思っています。

このところ、仕事をする中でずっと気になっていることがあります。どの分野でもそうですが、人に関わる仕事の分野でも、様々な職種が生まれていき、それぞれに「専門性」が追及され始めてきます。それが、現状をみる限りでは、「専門性」が追求されればされていくほど、どうも肝心の「人」のところから離れていっているように私には思えてなりません。

「ケアすること」「ケアされること」、そこから生まれる関係性についても、私は、本当は考えるより感じること、感じていることの方が好きです。でも、それは私一人だけの世界かもしれません。時には自分の感じていることについて考えてみたり、他の人と話してみたりしてみたくなります。私にとって「ケアを考える会」はそんなところです。だから、久しぶりに参加しても、お酒の場から参加しても、とても重要で温かい場所です。そして、そんな中から、私が気にしていることについても、何かいい方向性が見つかるかもしれない、と思っています。

(京都福祉サービス協会、介護支援専門員、社会福祉士)

 

 

 

 

 

 


「ケアを考える会」50回記念を祝して

 

              今松 一郎  

 

私が「ケアを考える会」に初めて参加したのは、おそらく平成17年頃位からかなぁと思います。早いものでもう5年が経ったのかと思います。

子供の誕生等もあり最近は行けてませんが、最初の1・2年は資料は読み込めてなくとも参加させて頂いてたなぁと思います。また、一度は夫婦で飛び入り参加させて頂いたりもしました。何と言っても、誰を誘っても、「ケアにまつわる話」などがしたい人であれば、参加の制限が無いというのが良いです。また、時折しか参加ができなかったり、久しぶりでも快く受け入れて頂けるということです。また、この会の良いところは一部は資料等で勉強会をしますが、その後は食べて飲んで、日頃のいろいろなことを自由に語り合えることです。いつからか、忘年会の鍋持参係となっていました()

さらに、発起人代表の林さんのご尽力、顔の広さで多彩な方々と出会え、いろいろな考え意見のやり取りができることも楽しみの一つです。それでいて全然堅苦しい場ではないというのが何より一番です。林さん、いつも場所を提供して下さり有難うございます。

しばらくは、あまり参加できないかもしれませんが、楽しみにしておりますので、これからも「ケアを考える会」が長~く続きますことを祈念してお祝いの言葉とさせて頂きます。

(修徳居宅介護支援事業所、介護支援専門員、社会福祉士、介護福祉士)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「実家」のようなケアの会

 

福井 三枝子  

 

 私はケアワーカーだ。

 仕事を始めた時は毎日が不安でいっぱいだった。勤めるのは初めてと言っていいくらい経験がなかった。仕事をしていて人との関わりが楽しかった。

 認知症の方が「机が動かない」と言っていた。「こうですか」と動かしたら、いきなり殴られた。涙が出てきた。びっくりしたというのが正しいのか。それまで傷つけられるのは慣れていたが、勉強不足だった。いつか私の気持ちをわかってくれると信じていた。今なら笑えるが。

 仕事に行くのがイヤだなぁと思ったことは、今まで2、3度しかない。

仕事をして毎日があっという間に過ぎていく日々が続いていたが、何故か淋しかった。そんな時にケアの会の案内が壁に貼ってあった。

ずっと知り合いのような仲間の人達が本音で話をしてくれる。勉強は聞くだけ。でもとても役に立つ。私の癒しを見つけた。

私用とか、落ち込みとかで参加できないことも多いけど、実家がなくなった私にとって、田舎の実家のようなところだ。

今でも仕事は楽しい。老いてもこの仕事に関わりを持っていきたい。きっと人が大好きなのかなぁ。                    

 (デイサービスセンター勤務、介護福祉士)

 

 

 

 

 

 

 

 


ナイチンゲールの「小管理」について

 

金子 由利  

 

ケアの会に参加させて頂き2年生になりました。参加の声をかけて頂いた事、本当に嬉しく感謝しています。同じくして訪問介護の事業所を立ち上げ2月で2周年を迎える事ができます。全速力で走ってきた2年間でしたが、同時にケアの会に参加させて頂き足元を見る機会もできました。

ナイチンゲールの「看護覚え書」の読書会で「小管理」の章では頭をガーンとさせられました。現場一筋で利用者さんと向き合い常に現場が主体の私にとって自分以外このケースは扱えないと思っている自分に気づきました。自分以外の誰かに代わったら上手くいかないのでは?と考えてそのような自分をどこかで誇っていました。不在を補う管理が出来てこそ皆が困る事なく誇れる事であると気づきました。住みなれた地域で在宅生活が可能な限り自然的な環境整備と向き合う心を持ち在宅への情熱をもって仲間の力を信じ管理していけるように日々努めていこうとナイチンンゲールの読書会でズシッと改め感じさせられました。

ケアの会の皆様や色々な仲間に助けられ利用者さんに育てられどうにか自分自身がニュートラルで仕事が続けられる事にただただ感謝です。ますますケアの会の輪が広まりますようにと願っています。

(訪問介護 ゆりかご)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ケアについて

 

山田 久美子  

 

私は、日常のさまざまなことにケアという言葉を使っている。手当て、手入れ、世話、介護、介助、支援、援助、気配り、気遣い、配慮などの言葉で置き換えられることが多いが、1語で言い表すことができない、広く奥深い概念を含んでいると感じている。多くの意味合いを込めることができることを頼みにし、ケアという言葉を安直に使っているところが多分にあるのではないかと反省することころである。この勉強会に参加したことを機会に、私にとってのケアについて、少し立ち止まって考え、言葉にしてみる。

ケアとは、よく生きるための自分や他者の身体や精神に対する気遣い、思い遣り、関わり。ケアがケアとなり得ているかについては、その受け手が決めることである。だから、ケアが、押し付けになったり、余計だったり、違っていたりすることもある。それでは受け手はよく生きられないから、ケアなど為さぬ方がよい。少なくとも受け手を傷つけない。不足は“まし”なことと言えるかもしれない。しかし、受け手によっては、関わりがあるにもかかわらず理解してもらえなかったという感情が残ったりするから、またこれもよく生きるにおいては危ういことである。人はケアしなくてはおれない存在なので、関わらない、関わる以前の方が良かったということになれば、何とも寂しく辛いことである。

私は、ケアする時される時に“痛い”と感じたことを大切にしたいと思っている。大変辛いものであり、自分の資質が問われる、足元がぐらつくような時もあるが、それは私を大きな良き変化へつなげてくれるものともなるから。ケアの関わりの中で、多様な気付きや人間的成長などを得られることは、大変貴重であり、嬉しいことである。そして、そのような時に、ケアは一方向でなく、相互にケアされて生かされていることをつくづく実感するのである。

他者への関わりにおいて最も基本的なこととして、その人を理解しようと努め、自己の準拠枠からその人を捉えず、ありのままに受容できるか、その人に寄り添っていけるかが重要である。信頼関係の確立は必須。そして、自分の行為に慎重であることが必要であり、これでよいか振り返り、常に自省できることが不可欠であると思っている。

ところで、我が家の愛犬は、私や家族の帰宅を待っていてくれ、必ず嬉しいと迎えてくれる。いつも気にかけてくれていること、いつも条件なしにありのままを受け入れてくれること、気持ちに寄り添ってくれていることを私や家族は感じている。ケアとはただそれだけでいいのではないかと、我が家の犬に教えられているようだ。そして、それが一番難しいと気付くのである。 

(京都市洛西ふれあいの里保養研修センター)

 

 

 

 

 

 

 

 


ケアを考える会の皆様へ

長谷川 三成  

 

 はじめに、ケアを考える会50回目到達おめでとうございます。真面目に林邸に集い、継続されてきたこと、本当にすごいなと感じています。 この会は、まじめに介護やその周辺のことを語り合う一方で、あっさりと飲み会へと移行するかわりみのはやさ、とっても好きです。その柔軟性が自由な雰囲気となっているようです。(ただ、酒好きがちょっと多いってだけかもしれませんが。)

 私とこの会のつながりは、林さんと同じ職場にいた時に声をかけてもらったことがきっかけです。

この福祉の世界に入って二年目に突入する頃だったと思います。 介助技術も何とか身につき、流れ作業的に仕事をこなしていくことに疑問と、認知症の利用者さんへの関わり方に本格的に興味を持ち始めた頃でした。 

 当時の職場は、開所からまだ、2年に満たないぐらいの経験浅い集団でした。 今考えれば、経験が浅いながらも、介護職としての適性を著しく欠いた人材は少なかったように思います。 

その集団の中で、日々のスタッフの関わり方に対する利用者さんの反応(特に私は認知症利用者さんの反応)や、疑問に思うことを語りあうのですが、引き出しの中に入っているものが少ない者どうしで、いまいち納得できていませんでした。そこで、外部の講習会や、セミナーなど休みの日に個人的に参加していました。まさに、そんな時に声をかけて下さって、経験のある方々と意見を交換できる場所が身近に、またお酒を飲みながらの自由な場所は、本当にありがたかったです。

はじめの頃、その空間が大変ありがたかったのですが、勉強会で取り上げる本の内容が大変難しく、読んでいても内容が理解できないことも多く、一つ一つ内容はわかるのですが、最終的に何が言いたいのと感じる事が多くありました。(すいません、この際正直に。) 「本当に皆わかってんのかな?」と疑問に思いつつ、参加していました。 今思えば、その当時、経験が浅いが故に自分が求めていたものは、自分が直面している問題を解決するヒントが欲しかったんだと思います。仕事に直結するケース毎の対応方法などは、勉強会の後の飲み会で満たされるといえば満たされるのですが。

その会で取り上げる難しい内容が理解できないことで、だんだん参加率も低くなりました。

林さんが、どこからか仕入れてくる山海の珍味や秘蔵の酒にも未練を感じつつも、その魅力にも勝るほどの気の億劫さが、会から足を遠のけてしまう原因となりました。

 

 昨年は、三回か四回ぐらいしか参加できていないと思います。 

昨年ぐらいから、何かもう少し深く考えたり、人に伝えるために、後もう一つ何か(わかりにくい表現ですいません)必要と思うようになってきました。 

福祉の世界も八年が過ぎ、経験も引き出しいっぱいとはいきませんが、何かを考えるための素材としては十分といっていいほどになったように思います。 

その素材が揃ってきた今、やっと、会がとり上げている「臨床哲学」などの必要性を感じつつあります(気づくのが遅くてすいません)。 

素材を整理していくために必要な考え方。それが、今一番自分が必要としているものであり、皆さんが勉強会の題材としてピックアップしてきた書籍などに、必要としているものがあると思います。

その先見の明に頭が下がる思いです。

これからも、毎回参加は難しいかもしれませんが、新たな気持ちで、おいしいお酒と共に語らいたいと思います。どうそよろしくお願い致します。

 

追伸 今、ディサービスで働いています。今までの認知症の利用者さんへの対応の大変さから比べたら、普通に会話が成立し、あっけなく過ぎていく一日に物足りなさも感じる日々でした。しかし、認知症もなく、普通に会話が成立し、何の問題もなく生活できるであろう利用者さんが独居で暮らす環境を知るにつれて、その方々の問題(社会との接点がないことで、引きこもりがちになること)を考えるようになりました。

そのことを意識するようになってからは、地域でのディサービスの役割を強く感じ、それがやりがいとなっています。皆さんが思う、ディサービスの役割や、こうあって欲しいなどの意見あれば教えていただけたら幸いです。

(デイサービスセンター勤務・介護福祉士)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈ケア〉を考える会と私

 

小澤 朋子

 

 〈ケア〉を考える会との出会いは、仕事と向き合う道標となるものでした。就職前は机上で学んだ思い描く現場で働ける、そんな希望で満ち溢れていました。しかし仕事とは大変なもので、目の前の利用者とは仕事の義務を果たすべく接するだけ、思い描いていたモノとは違うモノを感じる日々が続きました。書類作成に追われて何をしているのか見失っていました。そのようなときに、この会へ誘われて足を運びました。

会では1冊の本を中心に、感想や意見を出し合っていきます。予め本を読んでも、読めなくても、発言に耳を傾ける温かな雰囲気があり、安心できる空間が用意されていました。学生時代には自分の考えや意見を述べ、他の方の考えを聴き、福祉に携わる者の心得のようなものを議論していたので、〈ケア〉について熱く語り合えるこの場がとても居心地の良いものになりました。またこの会を魅力的に感じることは、本との出合い以外に、人との出会いがあることです。現状の〈ケア〉を取り巻く環境を考えようと職場や職域を越えて出会う方々には勇気づけられます。

〈ケア〉を考える会の運営について林氏はいつも『明日に活かせる知識や技術を学ぶのでなく、後から沁みこむようなものを得られる会にしたい』と話されます。この会の真髄だと思います。今後も〈ケア〉について共に考えていけるこの場で過ごせたら幸福です。

(京都市小川地域包括支援センター、社会福祉士)

 

 

 

 

 

 

 


ケアについて思うこと

 

齋藤遼子  

 

「〈ケア〉を考える会」50回記念誌発行、おめでとうございます。

 私が参加させていただいたのは2007年からになります。職場の方から声をかけていただき、会に参加させていただくことになりました。この会は色んな本を読んだり色んな方とお話できたりできる、非常に貴重な機会だと思っております。

 今日は私なりにケアについて興味を持ったきっかけや思ったことを書いてみようと思います。

 

 福祉や介護(ケア)について興味を持ったのは、自分の祖父母のことが一つのきっかけになっています。亡くなった父方の祖父は私がまだ小学生の頃に倒れ、半身麻痺と言語障害を持ちおじたちの介護を受けていました。また、亡くなった母方の祖母は高齢者のうつから認知症になり、おじたちの介護を受けていました。

実際にケアや福祉について興味を持ち始めたのは福祉系の大学に入ってからですが、そこで学んだことは「ケアを必要としているのは高齢者だけではなく、障害者や児童など多くの人がそうである」ということと「私たちは相手を治療することは出来ない。けれども寄り添って、一緒に考えることで相手を支えることができる」ということです。

恩師からは「看護(キュア)と介護(ケア)の世界は、よく似ているけれども理念も方法も違う」ということを学びました。「看護は相手の健康を守る立場に立って医療から療養生活のことまでを活動範囲とするけれども、介護は介護福祉の立場で日常生活の支援(身体や生活援助などの支援だけをいうのではなく、社会的にも文化的にもよい状態で生活できるように総合的に援助すること)を活動範囲とする」と学びました。

 その時私は「キュアの世界よりも考え方や支え方の幅が広いということかな。なら、そちらの方をもう少し勉強してみよう」と思い、学校を卒業し相談員として就職しました。

 広い意味でケアとは「弱さ」を支援することであるといわれていますが、よく「相手をケアしていく中で自分もまたケアされていく」という言葉があります。私も実際に仕事をしている中でそれを実感することがよくあります。日々の業務の中で、「弱さ」があるのはむしろ自分ではないかと思うときもありますし、本当に相手のことを考えた援助ができているだろうかと迷うこともあります。

 

 私の祖父母が倒れたときから何年も経ち、介護保険制度ができ、制度を利用して多くの高齢者の方が生活をされています。そして多くの福祉系の学校ができ、多くの学生が勉強をしています。

 「ケア」という言葉は福祉の現場以外にも溢れています。また、日本語に訳すとなるとさまざまな意味がありますが「ケア」という言葉使われる行動や内容は大抵相手(対象)を「思いやり」、「気づかい」、「心配」するというものばかりです。

私が勉強したことや仕事として行っていることは、広いケアの世界の一部分でしかないと思いますが、この会を通じてもっと広く、深いケアの世界を学ぶことが出来たら嬉しいです。

(京都市紫野地域包括支援センター、社会福祉士)

 

 

 

 

 

 

 


ケアのエコノミー?

 

森木田 一毅  

 

私が、<ケア>を考える会に出席し始めたのは、天田城介先生の「<ジェネレーション>を思想化する」(『思想地図Vol.2NHK出版(2008))を読んで、関心を持ったところに、当の天田先生が参加されるというご案内をいただいたのがきっかけだった。その論文は、むしろ「ゼロ年代」の若者を主題として扱うものだが、「要するに、羊飼いたちが羊の生命を配慮し、気遣い、管理するように人間(=家畜たる人間)は飼い馴らされており、そこでは(作為によって)生きさせるか(不作為によって)死ぬにまかせるようにして飼育されている。こうした「飼い馴らし/飼い殺しシステム」では、家畜が死なないように餌をあげ、怪我や病気をしないように管理し、よい働きをするように働きかけ、よい品種の家畜を生み出そうとして改良することなどがなされているのだが、そのシステムは誰かを生かすために誰かが働き負担を負うというエコノミーによって駆動しているものなのだ。」(P.217)というような記述は、他の高齢者世代をも視野に入れているものと感じ、しかも端的な指摘に非常な刺激を受けたのである。即ち、私はこれを、人間は社会の中の「配慮し/配慮される」関係性の中で生きており、その関係性はエコノミーによって動かされていると受け取った(天田先生から見ると誤読でしょうね)。

参加した勉強会は、テーマが異なったので、そのことはあまり話題にならなかったのだが、私が何故このような関心を抱いたか、また、今後どのようにそれを考えていきたいか、ということを若干述べて、責をふさぎたいと思う。

 

成年後見制度の理念は、被後見人等本人の自己決定を尊重し、それを支えていくものとされている。それは高齢者等被保護者について、措置から契約へと180度方針転換して設けられた介護保険制度と共に、高齢者・障害者を支える両輪として制度化された。成年後見制度といい、介護保険制度といい、本人の自己決定支援やノーマリゼーションを中心にすえて、成年後見人等が不完全な本人の自己決定を補って、あるいは忖度して適切な介護サービスを選択するという理念で出来上がっている。

しかし、現実には、本人の経済的負担を最小限にとどめるべく、非常に限られた選択肢の中からケアプランを作っているというようなケースが大半である。

 

成年後見制度の改正が行われたのは平成11年であり、バブル経済からの経済立て直しを図るべく金融ビッグバンが始まるなど、小さな政府に向けての道をひた走っていた時代である。規制緩和と民間活力の利用が声高に叫ばれていた時代にあって、当然のことながら介護保険・成年後見制度も時代の波に適合的な制度設計をされている。

介護で疲れた家族から、社会で面倒を見ますと始めた介護保険だが、半分以上を被保険者の保険料等民間のお金に頼っている制度だから、経済が縮小すると介護サービスも低下せざるをえない。もちろん介護サービスの充実は訴えていかなければならないが、ここではもう少し角度を変えてこの問題にアプローチしてみたい。

 

一つには、介護を保険という経済的な制度を基礎に社会が引受けたために、社会の経済的なアップダウンが、介護という世界に直接響くことになったのではないか、という問題がある。介護サービス業者間で競争をさせ、安くて良いサービスをする業者が生き残り、結果として要介護者の利益にもなるという図式は、低成長あるいはマイナス成長下の社会では、収入の増加の見込めない高齢者をして質よりも安価なサービスを選択させ、介護業者の低価格消耗戦を招いているのではないか。

もう一つは、社会が介護の問題を引き受けたために、家族や地域の介護力が崩れてきてしまった。そのために、介護保険制度が苦しくなったからといって、家族や地域に後戻りできなくなってきているという問題も指摘できるのではないだろうか。

さらに、もう一層根本的な問題として、社会は高齢者や障害者にどれだけの援助をできるのだろうか、あるいは、すべきなのだろうか、という問題がある。

 

まったく話が変わるのだが、ケアの会で胃廔・PEGをとりあげたときに、動物は本来、自分で食物を取れなくなったら飢えて死んでいく。おそらくその方が楽な死に方ではないか、という話が出た。

エネルギーの摂取という点から見れば、ほとんどの生物は食物から代謝エネルギーを得て、それによって活動している。ところが人間は、それ以外の外部エネルギーを活用して今日の文明を築いた。しかし、そのエネルギーの配分は現在でもうまく行っているとはいえない。ジェット機で旅行したり、Wiiでゲームを楽しんだり、中トロに舌鼓を打つ人たちが居る傍らで、年間1500万人が飢えて亡くなっているのである。

今日の繁栄は、おそらく外部エネルギーの活用だけでなく、言語を駆使した群れ(人間社会)のコミュニケーションの高度化も大きな原因となっていると考える。

人間社会という大きな単位で考えた場合、そうした群れで生きる動物としての基本的なありようと、生きるためのエネルギーの適正配分が、こうした問題の基礎にあるべきではないか、とおぼろげながら考えている次第である。

 

では、群れで生きる動物としての基本的なありようとはなにか、また、エネルギーを適正に配分するためにはどうすればよいのか。

今のところ、月並みな答えしか用意できないのだが、共助が基本であるということである。

あらゆる生物は自然から恩恵を受けると共に、その厳しさと切り結んできた。

群れで生きる動物は、個体より群れの利益を優先して行動するから全体として生存率が上る。もちろん、危機的状況下では、それが口減らしや姥捨て山の論理につながりかねないし、今では人口の増加が至上の価値とは言い切れない。むしろ過剰適応が環境を変化させ、不適応を引き起こしている。人類としては、群れとしての適正規模までダウンサイジングしていくべきである。その際に個々の人々を切り捨てることなく、ソフトランディングすることが求められる。人類が繁栄してきたのも共助であり、逆に衰退していく過程で破局を防ぐのも共助の力無しには難しいと思う。

 

話が抽象的な方向にそれたが、先に述べたように、高齢者・障害者の福祉分野は多くの富を生み出す分野ではない。今日の経済優先の社会では、当然そこに多くの資本を投下してもらうことは望めない。かといって昔のような「孝」の倫理を説いても今では聞く耳を持ってもらえない。社会に物語が失われ、即物的になってしまった。しかし、その社会の薄っぺらさが、ホームレスの問題などを生み出し、少し考え直そうという動きも見られる。

そこに共助の考え方を埋め込む契機がないだろうか。もちろん、それは欲望の強力な駆動装置である資本主義とどう折り合いを付けていくか、というとんでもない課題と向き合わなければならないということでもある。

これもまだまだ漠然と思っていることだが、個々人の持っている、他者あるいは社会からの承認の要求がその鍵になるのではないかと目論んでいる。

 

そのための具体論は、これからの学習会で模索していきたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。

(リーガルサポート京都支部、司法書士) 

 

 

 

 

 

 

 


ケアの一考察

 

       野中 理子  

 

ちょうど一年前の正月だった。忘れもしない1月3日にかかってきた実家の母からの電話。

 

朝7時半過ぎにその電話はかかってきた。「理子か?あんた今日は仕事休みか? ちょっとおせち料理作るの手伝って欲しいねんけど。お母さんも歳で大変なんよ。」と。すでに、元旦に、実家に挨拶に行き手作りのおせち料理をいただき、母と一緒に氏神様の初詣やご先祖様への墓参りも済ませていたあとの電話だけに、絶句してしまった。こういう時、介護の専門家ならどう答えるべきなのだろうか? 私も介護の専門家の端くれなのだが、その時は「お母さん、しっかりしてよ。もう一緒にお正月のおせち食べたし、初詣も行ったんよ。」と告げていた。母は「あれ?今日は何日や?」と尋ね、「1月3日」と私は苛立ちのようなものを感じ冷たく応えていた。母は、平然と「なんやここのところ忙しくて勘違いしたわ。そうかぁ。もうお正月過ぎたんやね」と言い訳し取り繕った。

 

電話を切ってからしばらく私は放心状態だったような気がする。ついに我が家にもきたか・・・という思い。確かに年を取ったなぁと感じることが多くなっていた。耳が随分と遠くなり何度も聞き返す事が増えていた。同じ事を何度も話したりもしていた。糖尿病も進んでいた。それでも、ここまでしっかりと認知症がすすんでいる事を実感させられるとは・・・。ただの勘違いでは済ませられない事実を突きつけられていた。

 

あれから、1年がたち、またお正月を迎えることとなった。あの時の衝撃から1年を振り返ると、確実に母の認知症は進行していた。朝一回のインシュリンの注射を打つことが出来なくなり、忘れる日が増えてきている。一緒に住んでいる父と妹が薬は注意して、忘れていたら促すようにはしているがどちらも仕事があり、必ず促せるわけではない。今のところインシュリンの二度打ちはないが、それこそ大変である。金銭管理も出来なくなり生活費のお金を何処かにしまい忘れ、「まだ、今月の生活費をいただいていない」と主張し父をいらいらさせる。口座引き落としの支払いが滞るようになり何通も通知が届く。約束事など忘れて失敗すると相手のせいにする。冷蔵庫には同じものばかりが買い物で購入されている。

 

専門の医師の診断ではアルツハイマー病とのこと。定期的に受診をするようになるが、「何で私が病院に行かないといけないのか? 私は何処がわるいの? どこも悪くないのに。」と疑問を投げかけられる。その都度、病院受診に私も同行するようにし、「歳をとってくると物忘れが増えてくるから、それがひどくならないように予防するために病院に行き薬をもらうためだ。」と伝えると、予防なら仕方ないと納得してくれる。普段一緒に住んでいるわけではない私が、病院受診の際に、半日位を一緒に過ごすだけで母の認知症が進んできていることを実感する。一緒に住んでいる父や妹は、どんなに苦労していることか。

 

それでも、救いなのは母が明るいことである。物忘れがひどくなっても落ち込むことはなく、歳相応のものであると豪語している。「夫は私を呆け扱いしたくて仕方ないようだ。」と相手のせいにするから自分は悪くない。それがいいのか悪いのか・・・。母はそのおかげで明るい。

父は何度も病気のことを説明したようであるが、すぐに忘れるから「やっぱり私を陥れようとしている」となる。金銭を取り上げられるとカッと怒りだし、すぐに切れるようになってきている。少し物忘れがひどくなってきたことを自覚して他人に頼ってくれると周囲はやりやすいのだが、まだいろいろなことを一人でこなそうとするから周囲が大変になってきている。特に同居している者にとっては、いらいらし通しで精神的に疲れてくる。母の間違いを指摘してつい責めたり、小馬鹿にしてしまう。母もすぐに腹を立てる。こんな時に高齢者のケアのプロの私が出てきて、父や妹に認知症の人に対して叱っては駄目だといかにもわかった風に説明したところで何の意味もない。

私だから出来ることは何だろうと考えさせられ、わからないでいる。解決策など見つからないが、同居家族の介護の苦労や愚痴を聞き、一緒に生活してくれていることを感謝し労う。そして一緒に母のことを考え、母がどんな思いでいるのか母への思いをはせるような問いかけをする。私が知っている知識で利用出来そうな知識については提案したり、提示したりする。例えば、成年後見制度や介護保険の利用について。介護の工夫出来る方法についてなど。協力出来る事は、協力し任せきりにしないで、家族が相談できる状態に常にしておく。

 

この一年を振り返り私自身、母に対しては母が認知症になっていてもやはり甘えているところが未だにある事に気付く。それは決して悪いことではないような気がしてきている。母の存在そのものがいつまで経ってもそういう安心させてくれる甘えられる存在なのである。時に甘えから介護のプロなら決して言わないことを口にして母を責めたりすることがある。そのことは褒められた話ではない。認知症が発症する前なら普段の日常の当たり前の風景であったことを、ついしてしまっている。確かに甘え方の方法は変わっていかないといけない。大切な人であるという事は変わらないのであるが。

 

母の事を考えながらケアに一番必要なことは何なのであろうかと考える。やはりそこには相手を大切にしていきたいという思いが横たわっている。その大切にしていく方法については、その都度、考え議論していけばいいのであろう。単純であるが、そんなふうに思える。そうはいうものの身内となればつい甘えから失敗してしまうこともあり、反省はつきものなのであるが・・・。それも含めてよしとしながらケアをしていくしかない。正しいケアの方法などみつからない。母は確実に認知症が進んできている。すべてを受け入れながら、母や家族と歩んでいくしかない。不確かで危うい前途ではある。だからこそケアしながら今後生きていく上で、哲学を学んでいくことは大切なのであろうと考えている。

(深草センターほっこり、介護支援専門員)